私のプロフィール
はじめまして家庭教師の小田木 正邦(オダギ マサクニ)です!
家庭教師として生徒の成績を上げまくってます!
得意なことは勉強を教えて、伸ばすこと。
まずは箇条書きでサッと自己紹介します。
面倒でしたら太字のところだけでも読んでください
中学生より前
・1981年に東京でオギャー
・保育園の先生が大好き
・埼玉に引っ越す
・掛け算を覚えなくて母に怒られると思ったら、怒られなかった
私も典型的な男子でして、親に何か言われるとすぐにやる気を無くすタイプでした。私の場合は理由もなく覚えるのが苦手なんです。この経験は家庭教師の仕事にすごく生きています。まず、覚えるのが苦痛な気持ちがわかります。さらに、理解することで覚えることを大学受験を通じて気づきました。私は、無理やり暗記せることは好みません。理解して使えれば勝手に覚えているものなんです。母がここで怒っていたら、そのことにも気づかなかったかもしれません。母に感謝です。
・小学生の高学年でようやく友達ができる(おそっ!)
中学生時代
・埼玉県の中学校に入学
・サッカー部に入部
・入院で部活に行けなかったのに、サボったとされる 罰として部活の前に校庭10周
・なんかに載せるための俳句を投稿したら、人気投票1位を取るも、先生に盗作を疑われボツ
俳句の件は出来が良すぎてしまって、盗作を疑われるという悲しいことがおきました。クラスで目立つ存在でもなかった私にとってすごく貴重な体験だったのですが…。当時、好きな人も私の俳句に投票してくれたのに…。ということで、学校はいまでもあまり好きではありません。ですが、生徒さんにそれに言うことはほとんどないです。学校嫌いの生徒さんもいるので、そんな生徒さんとは学校の悪口を言ってコミュニケーションを図ることはあります。
・勉強は中の下
当時、スーパーファミコンの出始めで、そればかりやってました。ですが、勉強が嫌いというのではなく、中学校の勉強はやりたいことではなかったのです。家庭教師になった今この時を振り返ると、もし成績が良かったら勉強が好きになっていたかもしれません。得意な教科が好きな教科になるんです。
・ゾーンに入るとサッカーがうまくなるので、友達からの推薦でスタメンになるも、緊張のため力を出せず 一回でスタメン落ち(泣)
高校時代
・先生に勧められて格下の高校に入る
・登山部に入部
・初めての登山で全身筋肉痛 3日寝込む
・成績は常に2位 どうしても1位になれず 1位は早稲田に行く
・ギャル男にボコられる 助けてくれたの空手部
・大学全落
高校に入ってから、優等生になった私は、すっかり自分の実力を勘違いします。当時は一般試験がメインの受験方法。見事に玉砕しました。自分の実力を教えてくれる存在は本当に大事です。当時、私にアドバイスをしてくれる学校の先生はいませんでした。
・新聞奨学生(つまり、新聞配達員)になって、あこがれの予備校に通う つまり、浪人です
・予備校で英語に目覚める
・遅い成長期。突然身長が伸び始める
・新聞配達の仕事が忙しすぎて勉強できず また 大学全落ち
当時、予備校のCMも頻繁に見かけたので、予備校へのあこがれがありました。予備校も予備校で”魔法”を使って成績を上げるような雰囲気だったので、それに騙された?のかもしれません。ただ、ある英語の講師には大きく感化されて、英語への興味も格段に上がりました。勉強して勉強して、英語だけ偏差値が上がっていきました。そこから、自信が生まれ慶應義塾大学に合格することが夢になりました。ちなみに、新聞奨学生という制度ですが、新聞配達の仕事をしながら、勉強をする制度です。新聞屋さんに下宿して、新聞屋さんは予備校のお金を出してくれました。生徒さんには絶対に進めないですね。
・新聞奨学生2年目 まだ新聞を配り続ける
・9,11 アメリカ同時多発テロ
・完全な夜型になってしまうも、勉強は良い感じ 慶応に落ちて滑り止めの大学に受かる
慶應義塾大学の英語は合格点に達していたので、あとは小論文。小論文はなぜか自信があったので、あまり勉強しませんでした。その結果、意味がわからない小論文の問題が出て、頭がパニックになってしまいました。あとは、生活のリズムの大事さはこの時に気づきました。その影響か「昨日何時に寝た?」と授業のはじめに聞く生徒さんもいました。最近は、ゲームで生活のリズムを崩す生徒さんが多いです。
大学時代
・大学の学費は自分で払う 奨学金とバイトでなんとかする 奨学金感謝!!
・人生で初!彼女できる!!
・参議院選挙の公開討論会を主催
・休みの間山小屋で働く
・大学を半年留年して卒業
大学での勉強は本当に楽しいものでした。月10万円くらいアルバイトで稼いでいたので、アルバイトも大変でしたが、良い思い出ばかりです。
社会人時代
・環境系の会社に就職
・ブラック企業であることがわかる 通勤片道2時間 勤務時間14時間
・会社をやめて、学生時代にアルバイトしていた山小屋で働く 好きなことをし続けようと決意
・支配人になる
山小屋というのは、長野県の標高約2,400mの山小屋です。ペンションではないです。当然、水道も電気も通っていないので、水は下の沢からポンプアップしていました。道の整備が大好きでした。山梨県の登山道は雑な作りの場所が多いですね。「こうすれば、もっと道が持つのに…」と思うことがあります。勉強もそうですが、最初の設計が大事です。
・シェアハウスに住む そこで、妻と出会う
・夏は山小屋ではたらき、冬は東京国立博物館で働く すごく充実
・山小屋で鹿を目撃 猟師という生き方を知る
・東京から引っ越す 妻もついてきてくれる 感謝
いざ山梨へ
・猟師を目指し猟師試験合格
・妊娠発覚
・家庭教師を副業で始める
・妻とひと悶着 とりあえず狩猟お休み
・出産!!
親業というのは、なかなか難しいものだと痛感している日々です。思い通りに動かそうとすると、やはり良くないですね。家庭教師の場合、生徒さんに無理やり勉強させようとすると、良くない結果になります。家庭教師を利用するときも、家庭教師をやってみたいという生徒さんと、そうではなかった生徒さんでは、成績の出方が変わってきます。体験のときによく親御さんに伝えることですが、「お子様自身が家庭教師の利用を決めるのが一番良いこと」です。
・家庭教師を本業にする
・二人目妊娠 そして、出産
いかがでしたか?以上が僕のプロフィールでした。書かなくても良いかな?と思うような恥ずかしいことも書いてみました。
皆様のお役に立てるよう日々頑張っていきます!